2005-10-07

TCP/IPの初心者向けLAN構築講座(具体的設定例)

しばらく間が開きまして申し訳ない。2回目です。

ルーターを買って設定をしようとしますと、ブラウザを立ち上げて「192.168.0.1」を入力するように指定されるかと思います。なぜかといえば、ルーターにはリモコンもないし、設定用のスイッチもついてないからです。ですから、心電図を取るとき電極を貼り付けるように、ルーターとパソコンをつないでやる必要があります。では、「192.168.0.1」というわけの分からない数字は何かというと、それがそのネットワークのルーターを指定する「アドレス」となります。

どうしてこうなるかというと、ルーターはネットワークにおいて通信流路の制御に特化したコンピュータであるということによります。では、普通のパソコンもルーターになるのかといえば、もちろんなります。ただし、普通のパソコンは出入り口が一つでネットワーク制御には都合が悪いので、出入り口であるNIC(ネットワークインターフェイスカード、ネットワーク接続用部品、LANカードのことです。)を2つ以上にしてやる必要があります。1つのNICは1つのネットワークにしか所属することができないからです。2つにすることで、別々のネットワークに1台のコンピュータを所属させ、療法のネットワークを接続することができるわけです。


さて、では、なぜそういうアドレスを指定してやらないと設定ができないのか。たとえばポータブルオーディオのリモコンは「これはどこ製の何々という機器につながっている」ということをする必要がありませんが、これは本体側でもって、「リモコンのコネクタにつながっているのは本機制御用のリモコンである」ということで間違いないからです。ポータブルオーディオにつながったリモコンでは、当然エアコンの調整はできないわけですし、そもそもそれらはつながりません。ところが、ネットワーク上では複数台の端末をつなぐことを前提にしています。一つのリモコンで電子レンジも、オーディオも、テレビも、エアコンも制御できるようなものです。そういうリモコンがないわけではないですが、そのようなリモコンだったらテレビを制御するのか、エアコンを制御するのか、それともオーディオなのかというのを切り替えるスイッチがあるはずです。「192.168.0.1」というのはその切替スイッチのようなものだと思ってください。

では、実際の設定に移りたいところですが、もう少し総論を続けます。ルーターの設定は大まかに言えば「送信元、送信先、どういうプロトコル(情報の送信方式)か」ということを設定します。このうち送信元と送信先には「ポート」という属性があります。コンピュータは同時にいくつものデータをやりとりするため、ポートという仮想の出入り口を設定して、「このソフトはこのポート、このソフトはこのポートをつかいましょう」というふうに決めているわけです。広いコンベンションセンターなんかで東1番ゲート、東2番ゲート、南1番ゲートとなってるような感じです。パソコンの中では何番ポートからipアドレスがいくついくつのコンピュータの何番ポートにこれこれこういう方式でデータを送信して…とやっているわけです。

2005-10-03

TCP/IPの初心者向けLAN構築講座(導入)

パソコンが1家に1台の時代はもう通り過ぎ、1人1台、あるいは一人で複数台でも別に変わってないなどという時代がそろそろ来ようとしています。ファイルの交換にはメッセンジャーのファイル転送機能かあるいはP2Pアプリケーションなんていうのも、もう特別というわけでなくなっています。

その一方ではwindowsの標準機能としてファイヤウォールが実装され、回線はFTTHで、ISPから貸与されるモデムはルーター機能付きで…ということになってきています。また、ゲームではサーバ機能があって、自分がホストになってみんなを招待なんてこともできます。

このような中、ルーターの設定は今でも素人には敷居が高いままです。もちろんつなげばすぐ使えるルーターというのがほとんどなのですが、セキュリティ上は激甘です。言ってみれば、錠はたくさんあるのに鍵をかけたのはたった一つの錠なんて状態なわけです。これは非常にもったいない。個人的には、ルーターの設定でほとんどのウイルスの進入は防げます。防げないのはダウンロードしてきたウイルス付きファイルを実行してしまう場合(メール添付なんかも含まれる)、ブラウザのセキュリティホール(安全確保上の欠陥)を突いた攻撃くらいしかないわけです。さらに言えば、ルーターの設定をきちんとしておけば、トロイの木馬に感染してもそれによるさらなる被害は防げたりもします。

こう考えると、ルーターの設定一つだけで、その下にぶら下げてあるすべてのPCのセキュリティがある程度確保できるということはとてもすばらしいわけです。もちろん、上記の通りルーターの設定だけですべてセキュリティが確保できるわけではないのですが、個々のPCでのファイヤウォール設定の項目が少なくできるという点から見てもマイナスなことはないのです。

ところが、ルーターの取説ではネットワークの知識というのはほとんど設定に具体的に関わる部分が書かれるだけで、ネットワークの具体的な観念については書かれません。なぜかというと初心者には取っつきにくいからです。ここでは具体的例に則して、ネットワークの仕組みというものを(私的メモとして、という意味も含めて)書いておこうと思います。ネットワークの設定の意味がほとんど分からなくても、どのようなアプリケーションにおいてもルーターの設定ができる、というところを目的地にしています。

では、次項から本題に入ろうかと思います。

2005-08-16

過去との関わり合い

日中関係:6割が「資源めぐり再戦争に」 中国誌が調査

 中国の週刊誌「中国新聞周刊」の15日付最新号は、同誌が企画したインターネットによる世論調査で、日中関係の将来について中国人の約60%が「日中両国は資源をめぐり再び戦争になる」と回答した、と伝えた。
 ネットの利用者は20代などの若年層が多く、同世代に根強い過激な反日感情を反映しているとみられる。
 今月行われた調査には約7万6000人が回答。日本と聞いた際に「危険な軍国主義国家を連想する」と約80%が回答。約95%は「日本の軍国主義が復活する可能性が高い」と述べ、さらに約55%は「日本政府が正式に謝罪しても永遠に信用しない」と断じた。(北京・共同)
毎日新聞 2005年8月16日 10時23分
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/news/20050816k0000e030023000c.html

>約55%は「日本政府が正式に謝罪しても永遠に信用しない」と断じた。

こんな連中に謝る必要があるのか。信用しないのならもういいだろう。

それ以上に気になるのは、こういう国が75年ほど前から60年ほど前に存在しなかったかということだ。いうまでもなくそれは大日本帝国だ。「日本鬼子」などは「鬼畜米英」の言い換えでしかない。資源に枯渇し、国内とおぼしきぎりぎりのラインまでその確保に勤しんでいるのも当時の日本と似ている。日本は危険だと洗脳することですべて中共の行いは正当化される。
 仮に日本侵略を実行したところで「日本の危険性があまりにも高まったからだ」と開き直るに違いない。現在の日本にとってもっとも危険なのは自称「アジアの国々」である。連中は日本の二の轍を踏むつもりか。

中国の地理的状況を鑑みるに、北は北方四島から南は沖縄、フェノロサ、そこからフイリピンまで、太平洋側を囲まれている。そしてアグレッサーは間違いなく合衆国である。そのとき、中共は東側を親米国に囲まれている。合衆国本土への侵攻のためにはこれらの国がじゃまでならない。特に、合衆国本土への最短航路をふさぐ日本は目の上のたんこぶどころではなく、白内障か緑内障ほどにやっかいな代物なのだ。日米同盟がなくなったとたんに日本は攻撃の危機にさらされるのは目に見えている。

日本は国土の面積を遙かにしのぐEEZを持っていることで知られる。沖ノ鳥島のEEZの面積だけで日本国土の面積に匹敵する。日本を手中に収めればそれらも手に入り、海洋資源が手に入る。その上米国からの防衛について日本が橋頭堡となる。これほどに資源戦略的、軍事戦略的に押さえたい場所はない。

国内世論の締め付け以外にも日本を敵対視しておく好都合な理由があるのだ。

2005-07-29

日本人は勤勉か

杉浦日向子さんが亡くなったのは既報の通り。
それに関する文章でちょっと気になったことが一つ。

http://www.sankei.co.jp/news/050727/morning/column.htm

>手本となったのは、働くのが大嫌いだった江戸っ子たちの暮らしぶり。

ちょっと待て、27日の記事(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050727-00000011-yom-soci)にはこうある。

日本人の勤勉さ「今後続かない」が6割…読売世論調査

 「ニート」と呼ばれる若者の増加が社会問題となっている中、読売新聞社が9、10の両日に実施した「勤労観」に関する全国世論調査(面接方式)で、若者の働く意欲の希薄さが浮き彫りになった。
 「何歳くらいまで働きたいか」との質問に、「なるべく早く仕事をやめたい」と答えた人は6%だったが、年代別に見ると、30歳代は10%、20歳代では14%と最多だった。
 また、学校に行かず、働かず、仕事を探そうともしない「ニート」の増加で、日本の社会が活力を失いかねないと懸念する人は計91%に達した。ニート増加の原因については、「親が甘やかしているから」55%がトップだった。
 こうした若者の勤労意欲の希薄さに対する危機感を反映し、世界的に定評のある日本人の「勤勉さ」が今後続かないとみる人は58%に上った。1984年から始めた同種調査で最高で、しかも今回初めて「勤勉さ」の先行きを心配する悲観派が楽観派を上回った。

日本人は勤勉なはずじゃなかったか? と思うと、江戸っ子は働くのが大っ嫌いだという。どっちが真実か。

どちらも真実だということになるか。日本人が勤勉だというのはあくまで外からの見方といわねばならないだろう。もちろん、仕事嫌いなのは江戸っ子なのであって、それ以外は仕事が好きだという見方もできる。

ここで注目せねばならないのは「日本人はそもそも勤勉だったのか」という命題である。私は日本人は勤勉さそのものではなかったと思うのだ。

日本の文化を「恥」の文化だという人がいる。十数年前までは、それは間違いなく日本の文化ではなかったか。そうでなくなってきたのはここ十年以来のことであろう。恥ずかしいからまともに生きてきたのが日本人ではないか。定職に就かなければ恥ずかしい。大学は入ったら卒業しなければ恥ずかしい。そういう積み重ね、言い換えれば外聞を気にする国民性が日本人の勤勉さとして表に出てきたのだといって良い。勤勉でないと恥ずかしい事態に陥った、だから表向き勤勉を装っていたに過ぎない。

そう考えると、現在の「ニート」の台頭は、すなわち若年隠居である。江戸時代ならば、いい隠居生活を送るために必死で働いたのだ。そうに違いない。よりよい「さぼり人生」を送るためにがんばったというに過ぎない。ならば、これは勤勉といえるのだろうか。意外とそうでもなさそうだ。

ならば、ニートの減少のためになす施策は決まってくる。若年隠居できなくすればいいのだ。一定の条件を満たした若者は親元で同居することを禁じればいい。ならば、パラサイトな生活はとたんにできなくなる。民法上の親族の扶養義務も削減するか例外を設けるほかあるまい。勤労意欲がないと客観的に判断できるものは扶養・扶助義務対象から外すのだ。

2005-05-19

ソロモンよ! 私は還ってきた!

つうわけで、お久しぶりです。
とはいえ、これを見ている方が何人いたものか。

続きはまた後ほど。