2010-02-20

一気呵成にやれ

TOYOTA章男社長が公聴会に行くことになった。

是非とも重役全員を連れて行っていただきたい。

いままでずっと戦力の逐次投入という愚を犯してきたわけで、ここで攻勢に転じるにはそれをやめるしかない。

取りうる方策としては2つしかないと考える。単身乗り込むか、全兵力を投入するか。

本人が優秀なら単身で乗り込む手がある。ただし口ごもったりすればバカ扱いだろう。非常にリスクが高い。全ての質問に対して完璧な対応ができれば、彼は勇気も知恵もあると評価されるはずだ。しかしながら今までの対応を見る限りこれには期待できないから数人の重役がついて行くにとどまるだろう。ありふれた対応だ。いままで戦力の逐次投入をしたせいで火が消えなくなっているのに、この期に及んでまたそれをやるというのでは呆れられる。

ならばその逆だ。重役全員を引き連れていくのがよい。誰もこれは予想していないはずだ。マスコミも「TOYOTAはいい意味でクレイジーだ。重役全員連れて来やがった!」と書くだろう。市民もそれを読むだろう。そして、不安になる市民がどれだけいるだろう。TOYOTAはこの問題に全身全霊を注ぎ込んで解決するつもりだと捉えてもらえるものと期待する。消費者も心強く思うだろう。

そして単騎決戦と違いリスクも小さい。

一連のリコール騒動をヤバイと感じているのであれば、是非全員で行くべきだ。

マネジメントを考え(てい)る

会社の人と話をして、国際事務機器がおかしいという話になった。
以前はメーカーだったのがソフトウェア会社になりつつあり、その先にはマネジメント会社への変貌を考えているような気のするブルーな会社。


ソフトウェアのライセンス。ライセンス自体は実体のある製品ではないから、お金を取ろうと思ったら何を単位としてそれに単価を設定するかということになります。Windowsならパソコン1台に1個ですが、ものによってはCPU1個に1ライセンスというものもありますし、そのソフトウェアによって恩恵を受ける人数を基準とすることもありますし、OracleDBみたいにCPUのコアの数量を基準とする場合もあります。


IBMのソフトウェアはあらかたPVU(プロセッサ バリュー ユニット)という単位で売ります。CPUコア課金の一形態なのですが、CPUの種類によって基準となる評価数を変えて、それにコアの数を乗じて料金が算出されます。たとえばXeon5450を2個乗せているサーバーであれば、1コア50PVU、4コアのCPUが2個乗ってるから400PVUなので、1PVUの400倍の価格、ということになります。SPARCやPOWER5、Opteronなど、CPUによってそれぞれ1コアの評価値(PVU)は違います。


コア課金の場合、CPUのコアは誰がどう見ても2個なり4個なりの客観的数量に落ちつきますが、PVUの場合、基準となるPVUを決めるのはIBM。PVUの評価をいじれば好きなように1CPUあたりの基準金額を変えられるというのがキモ。


路線価を変えれば狭い土地からもたんまり固定資産税を取れるようなもの。


で、IBMのライセンスが高い。IBMに限ったことじゃないけど。


憤慨しておられました。おまえらどうやってこれ売ってんだ? と言いたいと。


ばいざうぇー


どうやったら顧客に気付かれずにもっと多く搾り取れるかというのは、経営者ならちょっとは脳裏をかすめることだと思う。もう少し欲しいなあと思うことはきっとある。でも、客はもっと安かったらなあと思っているのは間違いない。売る方になるかどうかというのは人によってあったりなかったりだけど、買う方になったことのない人はまずおるまい。


ビジネスの要諦はどうやって気前よく反復継続してより多くのお金をお支払いいただくかにある。気前よく払いたくなければ逃げられる。逃げられたくなければ囲い込むことだが、それが満足なレベルでできるのはマイクロソフトと公権力だけだろう。


一般的には巧いこと言いくるめて払わせちゃうわけだけど、「騙された!」となるとこれは非常にマズい。「反復継続」が成立しなくなる。だから嘘に嘘をミルフィーユ状態になる。こうなると結果は2つしかない。現実が嘘に近づいてくることで辻褄があってセーフになるか、破綻か。


前者は希望的観測というやつで、購入するものがコモディティである限り前者はまず成り立たない。コモディティかつプレミアムということが可能なら成り立ちうる。たとえば牛肉。オージービーフも大田原牛も牛肉という点では一緒だし、栄養価を見れば脂肪の量が違うという程度だろう。ビタミンやミネラルの量がそんなに変わるとは思えないし、そもそも一般消費者はそんな観点で牛肉を選ばない。


プレミアムというのは、動機付けだ。成分が全く同じチョコレートならば、同じ価格であるはずだ。でも、たとえば初めから割れているので食べやすいとか、ひとかたまりがピンポン球くらいあって食べごたえが半端でないとか、原価以外の付加価値の部分だ。チョコレートや牛肉の例のように付加価値に訴求力があればいい。


でも、ビジネス用のソフトウェアは完璧なまでにコモディティだ。アバターがついてて可愛らしいとか、DVDメディアにジャニタレの画像があるとか、そういうのは全く期待されていない。完璧なまでに道具として優れていて、かつ安いことが求められている。では、道具としてはほぼ同等の評価がされていたらどうか。価格だ。


もちろんソフトウェアはそれだけではない。サービスとサポートだ。でも、両者を必要としていない顧客には売れないだろう。ガソリン屋さんはオリーブオイルやごま油は買うだろう。でも灯油や軽油、ガソリンは間に合っている。仕入れ以外の理由で買うわけがない。


多くのお客さんは現状にかなり満足している。それなのに新しくものをより高く買ってもらおうというのであれば、もっと便利になることをアピールするしかない。でも、そんな機能はいらないと言われたら、さてどうするかということになる。フォード車はレギュラーガソリンでよいのに、どうやって儲けよう。貴方ならどうするだろうか。僕ならガソリン屋の傍らフォード車を売る。


#金融危機でGMもクライスラーも潰れたのに、フォードだけ潰れなかった。多分経営哲学が素晴らしいせいなんだろう。顧客が気にしているのは燃料消費率ではなく、ガソリン代だということを適切に見抜いていた。まだ炭素税かかってないからね。そうすると、ディーゼルハイブリッドなんてものが今後出てくるのかも知れない。


マネジメントは経営と和訳されるけど、経営というと数字いじりやお金のことばかり前面に出てきている気がしてあまり好まないので、あえてマネジメントという単語を選ぶ。「人をどう動かしてどうやって巧くやるか」がマネジメントと捉えている。


恣意的に価格をつり上げるようなマネをして継続反復したビジネスを途切れさせ、あるいは間口を狭くするというのは、マネジメントとして成功だろうか。

TOYOTA社内で内紛?

なぜ兵力の逐次投入はダメなのかというのを読んで、ランチェスターの法則などの記述も読んで、ふと思い出した。



トヨタブレーキ問題の本質を推測してみるのことだ。今日現在TOYOTA章男がUSの公聴会に出向くことになったようだが、日本に引きこもるといって、それから「出て来いやカワード野郎」と言われたので出ることにしたというのが経過である。


どう見ても兵力の逐次投入という愚なのだ。いやまあこれが初めてのトラブルなら別にここまで言及することもない。フロアマット、アクセルペダルという経営資源の逐次投入→失敗のコンボをつい最近経験しているのに、どうしてまたやるのかということだ。


TOYOTA幹部はバカなのか? いや、そうではない。ならば、なぜこのようなバカな振る舞いをしなくてはならないのか。
けっこうな回数自問して考えた結果、TOYOTA章男は社内でそうとう嫌われているのではないかということに行き着いた。そしたら文春の中吊りに彼の会社員人生のことが書いてあったので、なるほどと落ちついた。


落ちついたのはいいんだけど、この一連のリコール騒動でいくら使ったんだろう。
これだけの損害を一方的に章男社長におっ着せて、それで責任を取らなくて済み、素知らぬ顔でいいポストに立てる立場の人間がいるのだろうか。

トヨタブレーキ問題の本質を推測してみる

<< as「トヨタブレーキ問題の本質を推測してみる」初出2010年02月11日17:09 >>



UCCツイッター騒動も併せて考えると、アメがトヨタを叩きたかったというのは措くとしても、論点を捉え損ねたがゆえのコミュニケーション不全に起因する問題と結論づけました。 

「問題ない」=ユーザーの使い方に問題がある 
「強く踏めば止まる」=ユーザーの使い方に問題がある 
「不良ではない」=ユーザーの使い方に問題がある 

まずこれ。「責任転嫁ですか?」とユーザー(含む外野)がとらえたということ。 

なにしろ、フロアマットとアクセルペダルと立て続きだったこともあり「また言い訳ですか」と感じられたのではないかと。 

確かにブレーキには問題は全くなく、仮に改修したとしてその方が制動距離が伸びるかも知れません。ユーザーは「制動距離が長くなった」という訴えをしたのではなく、止まらない「感じ」がしたと不安を訴えたに過ぎないと見た方がブレーキ騒ぎについては正しいと考えます。ブレーキには問題がなかった。あれだけ問題ないと連呼しておいて本当に問題があったならトヨタは潰れるべきです。 

では、問題ないブレーキについての不安を払拭するにはどうしたらいいか? 

懇切丁寧に説明して、必要に応じて資料を用意し、あるいは体験してもらって納得してもらうしかないでしょう。 
曰く改修の必要はなかったのですから、改修の必要がなく、改修すれば悪化する(可能性がある)ことを丁寧に説明して理解してもらうのが本筋でした。 

「トヨタは失敗しない」という傲りがあったのだかどうだかは知りませんし、それを傲りと呼ぶべきかとうかは知りませんが、「我々に間違いはない」という自信がこの騒動をややこしくしたのは間違いないでしょう。何しろどちらとも主張は正しいのですから(*1)、それ以外のどこかに問題点があることを急いで見抜くべきでした。 

むしろ、なぜトヨタ社員のPR部隊がそれを見抜けなかったのか。正直言って間抜け揃いです。優秀な社員が揃ってるんでしょ? なぜこの程度のことを見抜けなかったのかあまりよく理解できません。ここ数年多発していたリコールを更に増やすわけにはいかないという焦りでもあったのでしょうか。ともあれ、理解できるとすれば「自分たちに間違いはないという自信の故に客を理解しようとしなかった」というのがまず1点です。これが非常に大きい。 


たぶんトヨタはまた一騒動やらかすでしょう。WSJには寄稿をしたらしいですが、邦紙(誌)にそのようなことをしたとは聞いていません。そういうCMを打ったとも聞いていません。日本のユーザーは常に後回しにされました。USでリコールなのに日本ではリコールにせずサービスキャンペーンとして扱おうとし、(サービスキャンペーンにすること自体は何の問題もありません。本来改修の必要すらないと主張するのですから、サービスキャンペーンで充分なはずです。) 相手の顔色を窺ってからリコール扱いにしました。 

問題はないと主張したのは「これが現状ではベストです」というのに等しいわけですから、もう少しは突っ張るべきでした。いろいろな資料を出して「現状がベストなんです」と言い張るべきでした。なぜなら、メーカーは使命としてベストを提供すべきですから、迎合してベストでないものを出してはいけないんです。ベストなものが絶対にお客様の安全・利益に繋がるのですと主張して良かったと思います。 

リコール扱いを受け入れたことでトヨタは欠陥であるという主張を「左様でございます」と認めたことになります。「そんなに言うなら仕方がない。多少リスクがあってもベストからちょっと落とすよ」というのはあまりにも筋が通りません。クルマは人が死にますからね。 
仮に同じ立場に他メーカーが置かれたとして、日本以外のメーカーでは絶対に改修はしないでしょう。だって、一番安全なものを提供したのですから、それをわざわざ危険にして提供するということはどう考えても誤りです。自らの仕事に対するスタンス、ポリシーの立脚基盤があまりにも脆弱です。 

ポリフォニーデジタル(*2)ならOKでしょうけどね。 


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*1)こういういうことで多分良いのでしょう。僕は"カツマー"ではないですが、「起きていることは全て正しい」というのは多分こういうことなのだと考えます。つまり、「それはおかしい」と早計に判断しないということです。「錯覚・錯視」にもちゃんとした理由があるということです。次に引く言葉と同源です。相手がなぜそう主張するのかきちんとした理由が分かるまでは、否定するようなことをいってはいけないのです。 

「壁がつくられた訳を知るまで、壊してしまうべきではない。」(G.K.チェスタトン(俺調べ)) 


相手の主張が誤りだと言いたいのであれば、誤りだとは決して言わず、自分が正しいとも言わず、相手が「間違っていた」と気付くまでひたすら「気付き」に導こうとすることです。大事なのは「分かる」ことなのですから。 

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*2 Gran Tourismoの会社ですね。 

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追記 
日経teckonに次の記事がありました。引用します。 
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 佐々木氏は新型プリウスなどのドライバーに向けて,次のように注意を促した。「雪道や凍結路における低速走行で,かつ緩いブレーキでの現象とはいえ,大変申し訳ないのですが,ブレーキペダルをしっかり踏んでいただきたい。そうすれば,確実にブレーキが利くということをご理解いただくとともに,ABSの作動は雪道や滑りやすい路面でブレーキペダルを強めに踏んでも,決して車輪のロックなどによってスピンなどはしないようにする装置ですから,安心して強めのブレーキを掛けていただくことを,切にお願い申し上げる」。 
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説明としては完璧だと思う。ほぼ完璧とかじゃなくて完璧。惜しむらくはなぜこれが最初の最初に社長の口から発せられなかったのか。 
ブレーキが緩いと感じたら強く踏めという点では今までと主張は一貫している。ただし、言い方が全く違う。この言い方なら大方の人が「あ、ちょっと踏み増せば「思ったとおりに」止まるのね」と感じられたのではないかと思う。 

齟齬は「思ったとおりに止まらない」ことに端を発していたのだから、思った通りになる方法、あるいは、NISSANのブレーキとTOYOTAのブレーキの効き味が違うように、「ハイブリッドはちょっと違うので、違う踏み方をして下さい」という説明をするただそれだけでよかったのに、と思う。 
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20100210/180123/?ST=AT 
(要ID) 

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豊田社長 米運輸長官と面会へ 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1106992&media_id=2





2010年02月11日 22:51
> せいさん

認識の違いというのではなく、理解する努力をし、理解させる努力をしたか、ということではないでしょうか。

認識の違いの一言で片づけるのは「俺の言うことを聞け」ということです。不信感を既に持った相手がこれでは納得するはずがありません。

人間のやることなすこと総てにはそれなりの理由があるのですから、まずそれを理解するべきでした。相手を説得するにはまず相手と認識を一致させ共有したと示し、味方、理解者だと信用させることです。

認識の違いであって~というのは議論にも対話にもなりません。説得としては下の下です。

章男社長はUSの公聴会を欠席するそうですが、対話のチャンスから逃げるわけですから、卑怯者と捉えられ、相当こじれるでしょう。なぜここまで危機管理がお粗末なのか全く理解できません。PRはいったい何を考えているのでしょうか。
すべての産業は本質的にサービス業だということが理解できていないようです。






2010年02月12日 00:07
週刊東洋経済に北川達夫氏の「わかりあえない時代の「対話力」入門」というページがあります。今週号はまさにハマるのでご一読を強くお勧め。 


「ンなバカなことがあるかいな!」という前に、「待てよ、なんでそんな「バカなこと」を言うのだろうか。理由があるに違いない。そしてそれは彼の論法に拠ればまっとうなことに違いない」と前提してかからないと、バカ扱いされるというお話しがあります。

2010-02-19

I'm back! Solomon!

It's perhaps, just an imagination, I wrote that subject.

Anyway I'm back.

つうわけで、長期の沈黙を経てブログに戻ってきました。理由は、mixiという閉じた世界ではちょっと狭いと感じた点。SNSはなんだかんだいって閉じた世界のわけで、といってもmixiは紹介制をやめますが、検索ロボットには引っかからないわけです。自主的google八分(この言い方もまだ死んではいないのだろうか・・・)になることもないわけで、価値は小さくともそれなりの時間を割いて書いたことが誰かの目に留まり、二束三文でも価値があると認められ、世間様の役に少しでも立つ、言い換えれば世界の価値を少しでも増すことができれば、と思った次第です。

So, I'm back to the world has blog.. I've felt SNS(Social interNet Society) world is a little bit narrow,  and I decided. There's close, not open world in SNS -the Mixi daesn't demand any invitation from exist user to new users  - searching robot(e.g..google) can no articles in SNS world. I'd like to be a  worthy person in the world. I'd like to be found by someone what I written is a little bit worthy, benefit for the world. I want to be..