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2010-05-01

どことどこを比較しての格差か

以前は違憲だと思っていなかったんだけれど、いろいろと考えるようになってきた。

1票の格差、札幌高裁は「合憲」 昨年の衆院選
判決理由で井上哲男裁判長は、格差の要因で、人口と関係なく都道府 県に1議席を配分する「1人別枠方式」について、「人口の少ない県に住む国民の意思を十分に国政に反映させることを目的としており、一定の合理性を有す る」と判断。
http://www.47news.jp/CN/201004/CN2010042701000469.html

4月27日の判決だけど、まだ裁判例として掲載されていないのが残念。是非とも原典に触れたい。

さて、以前はこう考えていたので違憲とかどうでもいいと考えていた。
・同じ選挙区の中にあっては皆同じ1票だし、他の選挙区に投票できるわけではないので比較すること自体が無意味。
・投票したい候補がそもそもいない選挙区ではどうしようもない。このときは一体何をどうして不満を表せばよいのか。
という理由からである。

「あっちは10万人で1人の代議士を国政に送り込めるのに、こっちは30万人でようやく1人。この差は何?」 ということに気付いたのは情けないながら最近のこと。なるほど、言われてみれば確かにそうだ。

個人的には札幌高裁の見解に賛成する。それは、私が一極集中反対論者だからだ。

東京都、1300万人を突破 区部の人口増目立つ http://www.asahi.com/national/update/0428/TKY201004280097.html
 人口が1億3千万いないこの国の人口の1割が東京都にいる。国勢調査がしばらく前なのでちょっと資料としての鮮度が落ちるが、東京都特別区の常住人口は平成17年現在835万人だ。(http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2005/jutsu1/00/03.htm)

450万人程度が市部に住んでいることになる。

ここでちょっと想像してみる。おおむね23区の住人は市部の倍だ。単純に全員の票を平等に割り振ると、区部は市部の倍の議員を都政に送り込めることになる。すると、単純に2/3は区部の議員、1/3は市部の議員。平等の名の下に伊豆諸島・小笠原諸島の議員は1人もいなくなるかも知れない。

2/3を掌握すれば区部の議員は結託して市部にあれこれを押しつけることが可能になる。昔江東vs杉並連合ゴミ戦争みたいなのがあったが、「よし、狛江に焼却場作ろうぜ。23区は狭くて辛くて大変なのよ」となったら、市部の住民は我慢して頂くことになる。これって平等なのだろうか。


全国で考えてみる。鳥取の人口は60万弱。2人の選挙区にしよう。茨城県は300万弱だから10人の選挙区になる。東京都は1300万だから45人くらいかな。東京都の人口はおおむね日本全体の1割なので、衆院の定数が480であることと合わせるとだいたいこんなもん。人口30万につき1人程度となる。

田舎の人間からしたら都会はズルいですよ。人が多いので回収が容易なため、民間のどんどん投資が進む。田舎は人がいないからインフラが来ない。都会は人が多いため人材を求めて求人も集まる。地方から人間を吸い上げる。人が多く税収もあるため公共サービスもそれなりにできる。


一方、無駄遣いもするわけです。
過密のために溢れた交通インフラの拡充・補強のため、地方なら数十億でできる公共事業に数千億も投じられる。どう考えても無駄ですよね。

その上、代議士の数も多くなると言うんだったら数の暴力じゃないですか?
生活が便利なんだから少しは黙ってろと言いたい。
こういうと、田舎の人間に対して「お前が引っ越せ」と言うんだろうけどさ、
そうしたら農業政策ズタズタになるでしょ。極端な話、都市部に日本の人口の9割、地方に1割になったらどうよ。そんな状況下で地方に税金が投入されるわけがないじゃない。

単純に農地面積や山林面積を勘案した可居住面積で代議士を割り振ってもいいんじゃないですか。

個人的には、都会の住人は(たとえば4代住んでる人を除いては)もっと軽視して、地方に人が散らばるような政策を実行してもよいと思います。安全保障の面からも。だって、田舎で大地震があってもそんなに人は死なないでしょ。今の東京だったら1万人は死ぬよ。これが東京の人口が半分になれば、5000人で済むわけです。

1票の格差に不満がある人は、是非引越しすることをオススメします。おまえらどうせニワカ都会民なんだろ? 中国と違って日本には住居移転の自由がありますので。

2010-03-21

もういい加減にしろ

「美人すぎる市議」自民が参院比例に擁立検討
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100321-OYT1T00051.htm

知名度は確かに選挙戦には必要だけど、ろくすっぽ政策も論議しないで、知名度重視で候補者持ってきて、で、この国をどうするつもりだ?

有権者を小馬鹿にするのももうやめて欲しいし、それにもかかわらず票を入れちゃうお馬鹿さんももう大概にして欲しい。 舐められてるんですよ。有権者。包装紙は見るけど中身は気にしないって。

2010-03-03

選挙のあり方と地方分権

「そういう選択を長崎の方がされるのなら、民主党政権は長崎に対しそれなりの姿勢を示すだろう」 http://www.youtube.com/watch?v=9Jc-PZ8wcQM

これはあまりにも酷い。支持するならそれに応えるとも、支持しないなら冷や飯食わせてやるとも取れる。「批判があったらば、人気取りのために利益誘導しましょう」なんて解釈の成立する余地は、絶対にない。

さて、選挙だ。ここは国政に限る。

国政選挙には概ね3通りの選出方法がある。小選挙区制、中選挙区制、大選挙区制だ。
小選挙区制は1選挙区から1人の候補を選出する。中選挙区は2人以上、概ね5人くらいまでか。大選挙区制はそれより多いが、ここでは全体を1選挙区とすることを念頭に置く。つまり、全国区だ。

小選挙区制にはあからさまなデメリットがある。地元への利益誘導だ。ついでに言うと、国会議員の小選挙区選出候補は都道府県議会議員ないし都道府県知事とかぶる。都道府県議会議員及び知事は都道府県への利益誘導をするのは当たり前で、かつ、重要だ。彼らは自分の責任範囲である都道府県全体の利益を考える必要がある。

国会議員が地元への利益誘導を考えることになる選挙区制は、もはや時代遅れだと言うべきだ。前述の通り、そんなことは都道府県の代表にさせればよい。国会議員は国民の代表では確かにあるが、国全体のことを考えて仕事をすべきだ。たとえば、我が故郷である茨城県から選出されていたとして、茨城の利益になる事業を引っ張ってくるのであれば他府県の利益になり、かつ国家の利益となることを述べて利益誘導をすべきだ。もっと言えば、国家のことを考えてもっと重要なところへ利益をもたらすべきだ。地元の代表という立場はそのような考えから議員を遠ざける。

一方、「我々に関することは我々が決めるべきだ」という民族自決の考えが国政に反映されるべきだという考え方もあり得る。だから、国会議員は地元の代表を選出すべきだ、と。

ちょっと待て。ならば、何のための都道府県議会だ?

そういろいろ考えていくと、国会議員は国税、外交、防衛、移民など、個々の地方議会に権限を移譲すべきでない事柄だけ扱えばよいということになる。確かにそうだ。地方分権が云々声高に言われるようになって久しいが、結局はこういうことだったのだ。国がやっていたことをもっと地方に譲ろうというのではなく、本来地方がやるべきだったことを国は早く地方に譲れということなのだ。


なるほど。各地方がやるべきだったことを、中央政府ないし国会議員がやっていたから問題だったのだ。

しかしながら、関所があった江戸時代ならともかく、現代では都道府県の境目は単に住所が違う程度の意味しかないのは越境して通勤通学する人間の多さを見れば分かる。ある程度結びつきの強い地域は一体のものとして扱い、弱いところを境目にして、もっと大きい単位で地方自治を区切ろうということが道州制の一つの見方と言える。通勤で神奈川から東京に入ったら税制も権利義務も何もかも違うというのでは、確かに生活が不便だ。だから、切りにくいところは繋げておくという程度でまとめる。まあ、東京はあまりに巨大だから、わざと切り離すということもあっていいとは思うが。

こうしてとりとめもなく考えると、地方分権と選挙制度改革はセットだということがわかる。

たとえば、以下のように分けてみよう。ある程度恣意的だけど適当だ。
北海道
青森、秋田、岩手、宮城、山形
福島、下越、中越、茨城、栃木、群馬
東京
埼玉、神奈川、千葉
静岡、山梨、長野、上越
愛知、岐阜、三重
富山、石川、福井
滋賀、京都
大阪
兵庫、和歌山、奈良
岡山、広島、鳥取、島根、山口
四国四県
九州七県
沖縄

1年間に1人の人間が使う金額には下限がある。だから、経済規模は人口と相関があると言っていい。だから、人口の大きいところは独立させる(というより、切り離す)

人口の少ないところは経済的に若干恵まれないことになるから、この不均衡は正した方が良さそうだ。都市部では人口の多さゆえに投資に対する回収の効率が高いから、たとえば日本で初めてのADSLは東京めたりっくだったが、当然大都市東京から始まった。都会ではプロパンガスではなく都市ガスだ。回収しやすいから民間資本がインフラに投資してくれる。地方では採算に乗せるための投資が大きな負担になる。

この分は正確に見積もって都会以外に投資した方が良さそうだ。民間にできないことは政府にさせるしかない。ここで国税の出番。国庫支出金なり、地方交付税なりは本来都市と非都市との格差を是正するためのものなのだろうけれど、現状はどうだろう。

ここで、都道府県より広域の道州制が生きてくる。つまり、3人の兄弟それぞれに1万円の小遣いをくれてやったらみんなwiiの本体を買っておしまいだが、3人まとめて2万円くれてやれば本体と併せてソフトも買えるということだ。少ない額で、意味のある投資ができる。
3人だったら1万円ずつでひょっとしたらもっとマシな使い方があるかも知れないが、10人だったら1人3千円しかやれない。ソフトすら買えない。これではカネが活きない。活かすための道州制を僕は考えている。

かといって、女きょうだいが男きょうだいと一緒くたというのは考え物だ。だから沖縄は別にしてみた。

日本人は他国の侵略に晒されたことがある。それを退けたことがある。他国による侵略を受け、主権を奪われたことがある。しかしながら、独立戦争をしたことがあるわけでもないし、革命をしたこともない。
国とは何か、主権とは何か、独立自尊とは何か、選挙とは何か、そういういろいろなアイデンティティに関わるよしなしごとについて、日本人はそろそろまじめに考えるじきにあるんじゃないだろうか。政権交代はその良い契機だと思う。