2010-03-04

水曜だと思ったら木曜だった。






人間は人間であると同時に、動物だ。動く物なので、動くべきだ。
一昨日、昨日と引きこもっていたらどうにも眠たくて困った。
古い機械が使われて、手入れをされて100年の長きにわたってはたらき続けるように、人間も手入れ以前に使われなくてはいけない。






今日は午後から雨だというので、ならばと午前中に散歩してきた。昨日近所のコンビニに欲しい雑誌があるか調べるついでに遠回りして帰ったら、梅の花が咲いているのを見つけたのだ。万葉集で得た「花」の座を古今和歌集以降は桜に座を奪われはしたが、それでも香りでは依然として勝っている。と思う。
紅白の目出度い組み合わせは桜には真似できまい。




梅を撮って、そのまま帰ろうかとも思ったのだが、折角なので更にほっつき歩くことにした。自転車もバイクもあると、通勤以外ではまず歩かない。有給休暇を消化しに入った僕は歩くことを目的にしないと歩くことがないわけだ。いや、出かけるところはあるだろう、俺。


ぶらぶらと歩いていると川沿いに出た。東京にも川鵜がいる。海鵜と違って川鵜はあまり好まれてはいないようだ。
後頭部がかっこいい。


護岸を作り直していた。既に砕かれたコンクリートの壁は、重機によってさらに握りつぶされるようにさらに砕かれていた。撮りたかったが勇気がなくてやめておいた。意外と握りつぶし感はジェントルでした。




こういう雑然とした画が撮れるのは日本のアジア感がしっかりしているせいだ。西洋が入っているとはいえ、日本の感性の基礎はアジア的カオティックの中にある。この菜の花はプランターから生えていた。写真は臭わない。音もしない。それは欠点に見えるかも知れないが、利点でもある。




ユキヤナギなのだが、寄りすぎた。これはちょっとそれに見えない。


思い出した。蝋梅の写真を撮りに行くのだった。ああ、土日は雨だったっけ。あと、名前の知らない釣り鐘型の小さな花を付ける木があるのだ。インターネットでいろいろと調べられるようにはなったものの、言語化できないものはどうにも無理だ。




ああ、そうそう。撮りに行ったのは梅だった。桃ではないと思うのだけど。枝には切る前のきりたんぽ(確かにただ「たんぽ」と書けばいいのだが、きりたんぽの名前の方がメジャーだからねえ。ショートケーキの絵を子どもに描かせたら、きっと扇形のあのカタチで描くように。ホールで描く子どもはなかなか居るまい。)


桜は花見・・・もとい、酒とセットにするにはよい。桜の時季なら凍死しづらかろう。さすがに梅の時期は死にかねない。


梅は予兆、桜は確信とでもいおうか。梅の時期はまだ寒い。春は確かに来ているが、まだどこにいるのかは見えていない。
桜は、春が曲がり角を曲がってこちらに向いた感じだ。そこで一旦止まることはあったとしても、直にここに来るに違いないことだけは間違いない。




鳩が大変に群れていた。カラスが生ゴミの比じゃないのでおそるおそる寄ってみた・・・
カレーパンはありました。
今60cmまで寄っています。おい、野良鳩共逃げやがれ。次は網持ってくんぞ。


スズメと遊んでみたいものですが、連中はもっと野良としての矜持がありますね。

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