2010-07-03

必要だと思われているもの

Topgearというイギリスンジョーク(http://www.nicovideo.jp/watch/sm11259066) があまりにもおもしろかったので今日12度目のループ中なのですが、もちろんイギリスンジョークというのはボケです。

お笑いコンビにボケと突っ込みとの両方が必要かという命題について、僕は片方でよいという立場を取っておりました。突っ込みは不要であると。

今気付けば、全盛期の爆笑問題がまさにこのパターンでした。太田がボケ倒す、その横で田中がハエのように逐一の突っ込みを、田中が我関せずとボケ 倒す横で、田中のボケに一切影響を与えることなく若干の無力さと共に連打する。
僕が覚えている限り、爆笑問題の初期の芸風はこんなで、これがおもしろかった。

で、お笑いコンビに突っ込みは必要か。結論から言えば不要。もちろん、突っ込みの切れ味に頼る芸風なら必要ということになる。この場合、ボケても いないものに切り口鋭い突っ込みを浴びせることで、相対的にボケを作り出す側面もあるから必要なくなる。ボケ役は必要なくなるが、ボケという要素自体は相 変わらず必要だ。

で、topgear。例の三輪自動車のパートはボケしかない。突っ込みはない。
突っ込む必要はないし、それは視聴者にもできることだ。だから、必要ない。
突っ込んでも良いし、突っ込まないで笑ってしまえばいい。笑い自体が突っ込みと同等役割を持っている。役割としても、要素としても、必須とは言え ない。

では、なぜ突っ込みは必須でないのか。
むしろ、その役目を視聴者に与えることで、作り手が視聴者に一定のレベルを信頼して期待し、視聴者は話の輪から取り残されない。こういう効能が出 てくるのではないだろうか。

そう考えると、僕はテレビを見なくなって久しいけど、テレビがおもしろくないといわれる理由が分かる気がするのだ。だって、Topgearはこん なにおもしろいのだから、テレビがおもしろくないというのは嘘なのだ。つまらないのは番組がつまらないだけの話。

必要なのはおもしろくする努力より、視聴者を信頼して期待することなのかも知れない。
テレビ番組がつまらない・質が低いというのは、換言すると、視聴者の質が低い、つまらないということなのかも知れない。

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