UCCツイッター騒動も併せて考えると、アメがトヨタを叩きたかったというのは措くとしても、論点を捉え損ねたがゆえのコミュニケーション不全に起因する問題と結論づけました。
「問題ない」=ユーザーの使い方に問題がある
「強く踏めば止まる」=ユーザーの使い方に問題がある
「不良ではない」=ユーザーの使い方に問題がある
まずこれ。「責任転嫁ですか?」とユーザー(含む外野)がとらえたということ。
なにしろ、フロアマットとアクセルペダルと立て続きだったこともあり「また言い訳ですか」と感じられたのではないかと。
確かにブレーキには問題は全くなく、仮に改修したとしてその方が制動距離が伸びるかも知れません。ユーザーは「制動距離が長くなった」という訴えをしたのではなく、止まらない「感じ」がしたと不安を訴えたに過ぎないと見た方がブレーキ騒ぎについては正しいと考えます。ブレーキには問題がなかった。あれだけ問題ないと連呼しておいて本当に問題があったならトヨタは潰れるべきです。
では、問題ないブレーキについての不安を払拭するにはどうしたらいいか?
懇切丁寧に説明して、必要に応じて資料を用意し、あるいは体験してもらって納得してもらうしかないでしょう。
曰く改修の必要はなかったのですから、改修の必要がなく、改修すれば悪化する(可能性がある)ことを丁寧に説明して理解してもらうのが本筋でした。
「トヨタは失敗しない」という傲りがあったのだかどうだかは知りませんし、それを傲りと呼ぶべきかとうかは知りませんが、「我々に間違いはない」という自信がこの騒動をややこしくしたのは間違いないでしょう。何しろどちらとも主張は正しいのですから(*1)、それ以外のどこかに問題点があることを急いで見抜くべきでした。
むしろ、なぜトヨタ社員のPR部隊がそれを見抜けなかったのか。正直言って間抜け揃いです。優秀な社員が揃ってるんでしょ? なぜこの程度のことを見抜けなかったのかあまりよく理解できません。ここ数年多発していたリコールを更に増やすわけにはいかないという焦りでもあったのでしょうか。ともあれ、理解できるとすれば「自分たちに間違いはないという自信の故に客を理解しようとしなかった」というのがまず1点です。これが非常に大きい。
たぶんトヨタはまた一騒動やらかすでしょう。WSJには寄稿をしたらしいですが、邦紙(誌)にそのようなことをしたとは聞いていません。そういうCMを打ったとも聞いていません。日本のユーザーは常に後回しにされました。USでリコールなのに日本ではリコールにせずサービスキャンペーンとして扱おうとし、(サービスキャンペーンにすること自体は何の問題もありません。本来改修の必要すらないと主張するのですから、サービスキャンペーンで充分なはずです。) 相手の顔色を窺ってからリコール扱いにしました。
問題はないと主張したのは「これが現状ではベストです」というのに等しいわけですから、もう少しは突っ張るべきでした。いろいろな資料を出して「現状がベストなんです」と言い張るべきでした。なぜなら、メーカーは使命としてベストを提供すべきですから、迎合してベストでないものを出してはいけないんです。ベストなものが絶対にお客様の安全・利益に繋がるのですと主張して良かったと思います。
リコール扱いを受け入れたことでトヨタは欠陥であるという主張を「左様でございます」と認めたことになります。「そんなに言うなら仕方がない。多少リスクがあってもベストからちょっと落とすよ」というのはあまりにも筋が通りません。クルマは人が死にますからね。
仮に同じ立場に他メーカーが置かれたとして、日本以外のメーカーでは絶対に改修はしないでしょう。だって、一番安全なものを提供したのですから、それをわざわざ危険にして提供するということはどう考えても誤りです。自らの仕事に対するスタンス、ポリシーの立脚基盤があまりにも脆弱です。
ポリフォニーデジタル(*2)ならOKでしょうけどね。
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*1)こういういうことで多分良いのでしょう。僕は"カツマー"ではないですが、「起きていることは全て正しい」というのは多分こういうことなのだと考えます。つまり、「それはおかしい」と早計に判断しないということです。「錯覚・錯視」にもちゃんとした理由があるということです。次に引く言葉と同源です。相手がなぜそう主張するのかきちんとした理由が分かるまでは、否定するようなことをいってはいけないのです。
「壁がつくられた訳を知るまで、壊してしまうべきではない。」(G.K.チェスタトン(俺調べ))
相手の主張が誤りだと言いたいのであれば、誤りだとは決して言わず、自分が正しいとも言わず、相手が「間違っていた」と気付くまでひたすら「気付き」に導こうとすることです。大事なのは「分かる」ことなのですから。
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*2 Gran Tourismoの会社ですね。
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追記
日経teckonに次の記事がありました。引用します。
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佐々木氏は新型プリウスなどのドライバーに向けて,次のように注意を促した。「雪道や凍結路における低速走行で,かつ緩いブレーキでの現象とはいえ,大変申し訳ないのですが,ブレーキペダルをしっかり踏んでいただきたい。そうすれば,確実にブレーキが利くということをご理解いただくとともに,ABSの作動は雪道や滑りやすい路面でブレーキペダルを強めに踏んでも,決して車輪のロックなどによってスピンなどはしないようにする装置ですから,安心して強めのブレーキを掛けていただくことを,切にお願い申し上げる」。
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説明としては完璧だと思う。ほぼ完璧とかじゃなくて完璧。惜しむらくはなぜこれが最初の最初に社長の口から発せられなかったのか。
ブレーキが緩いと感じたら強く踏めという点では今までと主張は一貫している。ただし、言い方が全く違う。この言い方なら大方の人が「あ、ちょっと踏み増せば「思ったとおりに」止まるのね」と感じられたのではないかと思う。
齟齬は「思ったとおりに止まらない」ことに端を発していたのだから、思った通りになる方法、あるいは、NISSANのブレーキとTOYOTAのブレーキの効き味が違うように、「ハイブリッドはちょっと違うので、違う踏み方をして下さい」という説明をするただそれだけでよかったのに、と思う。
http://
(要ID)
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豊田社長 米運輸長官と面会へ http://
2010年02月11日 22:51
> せいさん
認識の違いというのではなく、理解する努力をし、理解させる努力をしたか、ということではないでしょうか。
認識の違いの一言で片づけるのは「俺の言うことを聞け」ということです。不信感を既に持った相手がこれでは納得するはずがありません。
人間のやることなすこと総てにはそれなりの理由があるのですから、まずそれを理解するべきでした。相手を説得するにはまず相手と認識を一致させ共有したと示し、味方、理解者だと信用させることです。
認識の違いであって~というのは議論にも対話にもなりません。説得としては下の下です。
章男社長はUSの公聴会を欠席するそうですが、対話のチャンスから逃げるわけですから、卑怯者と捉えられ、相当こじれるでしょう。なぜここまで危機管理がお粗末なのか全く理解できません。PRはいったい何を考えているのでしょうか。
すべての産業は本質的にサービス業だということが理解できていないようです。
2010年02月12日 00:07
週刊東洋経済に北川達夫氏の「わかりあえない時代の「対話力」入門」というページがあります。今週号はまさにハマるのでご一読を強くお勧め。
「ンなバカなことがあるかいな!」という前に、「待てよ、なんでそんな「バカなこと」を言うのだろうか。理由があるに違いない。そしてそれは彼の論法に拠ればまっとうなことに違いない」と前提してかからないと、バカ扱いされるというお話しがあります。
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