いつからか「折角だから」という動機を積極的に使うようになった。それ以前はそういう理由では決して動かなかった。何かにかこつけて、やらない子供だった。
人生なんて死ぬまでの暇つぶし。しなくて我慢できる人はしないで良いし、我慢できない人はしたらいい。我慢できるとしても我慢しなくても良い。畢竟、好きにするべきだ。
バイクもカメラもやるものの、バイクの写真はほとんど撮っていない。自分で撮影するというのは、原則として「自分の視覚を切り取って保存」ということだ。一人称視点のスクリーンショット。僕にとって僕のバイク自体は一人称に属するものだから、被写体にするという視点はあんまりなかった。ひょっとしたら、心境の変化というヤツなのかも知れない。
自動車とバイクとは根本的に異なる。バイクの方がおおむね汎用的でないし実用性もない。つまり、趣味性が高い。悪意を持って言えば「無駄なもの」。よく言えば「あそび」。キリストは、人はパンのみにて生くるにあらずとおっしゃったそうだが、バイクは僕にとってパン以外のもののひとつである。
適当に歩き回って少しでも興味を持ったら触れてみるのがいい。一期一会。せっかくの機会だから楽しまなくてはもったいない。そうして、見たことも名を知りもしない物に出会う。
これは何という木でしょうか。
写真の構図で俗に「日の丸構図」というのがある。馬鹿にされる。理由は、全体を収めようとしてしまうため、被写体は小さくこぢんまりしてしまって、それでいて背景ばかり大きくなってしまい、つまらなくなってしまうからだ。
これを避けるのは簡単。まず、全体にピントは合わないとあきらめてしまう。もちろん、最近のカメラは優秀だから、自動で全部の被写体にピントを合わせてくれる。合わせてくれるんだけど、合わないものだと認識しておくのが先。露出だって全部について最良というわけにはなかなか行かない。(だからハイキー/ローキーで遊べるわけだけど。)
具体的には、次のようなやり方から徐々に自分の好みの構図やピントの合わせ方を感じていけばいい。
1)まず日の丸構図に構えて、シャッターを半押しにする。これで、大概のカメラではピントと明るさが固定される。
2)あとはピントのあった場所を中心から外すだけ。
あとは、寄って短いシャッタースピードで撮る。これだとピントの合う距離(被写界深度)が薄くなるため、撮りたいものだけにピントが合い、写したくない物をぼかせる利点がある。
恥ずかしげもなく自分で写した写真を他人の目の触れるところに置いてみたりしているが、それでもやってるのは上に書いたことだけ。もし僕の写真を上手いと思ってくれたなら、真似して下さい。やってみたら簡単だと分かりますから。
種では増えないはずのソメイヨシノでも、株によって開花のタイミングが違う。十人十色、百花百様なのですね。たとえわかりにくくとも、多少の違いはあるものですね。
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