正社員か否かで世の中を二分しても、何も解決しません。どのような立場でも誇りを持って安心して働ける世の中にするために、あなたは正社員を憎むだけですか? RT @: 残念な小島さんのコメント、フリーの人間は日々生きるために真剣なんだよ。(一部誤字訂正)ちなみにこの翌日、小島のオジキはフリー予定と報じられた。
個人事業者、中小、ベンチャーはみんな非正規なので、世界を正規非正規の2つに割って、非正規は可哀想な人と一緒くたに括るのは、あまりよろしいとは思わない。農家も漁師もおおむね非正規だろう。
なんだかんだいって、人生は優勝劣敗である。助け合いだとか思いやりなんてものは「幻想」だ。福祉なんていうのも同じ類のものだ。弱者救済のためのものなんかじゃない。"Friend in need is friend indeed."なんてことわざがあるが、あなたが辛いときに助けてくれるのはほんのひとつまみの人間だ。具体的にいえば地球上に4人いないだろう。大概は「頑張って」というだけで、決して手は伸ばさない。肉体的あるいは精神的にタフでなかったら、普通の生き方はあきらめて頂くしかない。
「どのような立場でも誇りを持って安心して働ける世の中」などというものは、北朝鮮にしかないのだ。人間も動物であって、人間同士で生存競争をする以上、絶対にあり得ない。あるとしてもそれは安易な現実逃避、安易な妥協だ。
不況という一種の飢饉の中では、他者を出し抜いて欺いて他人の分を取り上げてでも食わなければ死ぬ。生きている方の理屈に立てば確かにごもっとも。カルネアデスの板の話をするまでもない。住宅ローン、自動車ローン、毎月のお小遣いを守るためには他者を蹴落とすのも致し方ない。
ところで、オジキの発言は図らずも、正社員は実に美味しい立場であるということもあぶり出している。非正規雇用をフリーと呼ぶ人は、冗談めかして言うのでもなければ、絶対に、いない。
たぶん、自分がフリーになって会社員ではなくなることとの関係でああいう反応の仕方になったのだろうと思うが、(え、オジキってそんなに繊細なの?)
ここで話を横道に逸らす。
まず、平成の大不況は「天災」であるということ。もちろん"ヨーダ"宮沢がヘマをやらかしただとかいろいろな人的原因はあるが、カタストロフィックという点で天災と申し上げる。
次に、日本においては正規に非ずんば人に非ずといった「暗黙の前提」があるということだ。日本は新卒採用した人間はそのまま企業のマネーで職業訓練を受ける。これに対し、非正規では職業訓練を受けることがまずない。第二新卒といわれる25歳程度までの若年者の雇用が増えてはいるが、これも新卒での雇用が行なわれたことが前提である。新卒で雇用されなかったことは平成不況において一種の入れ墨といえる。25を超えれば未経験者採用は限られる。30を過ぎればそれもなくなる。35を過ぎれば生活保護の方が高収入。
本来、正規雇用という既得権ゲット組はフリーでは生きていけない連中がやることだ。本来は。群れを作るのは群れを作る必要がある生き物ばかりだ。有能な方は集団に頼らずともやっていける。
ところが、今では1人でやっていける個体ばかり群れに位置し、本来そこに置かねばならぬ「弱者」が追いやられてしまった。
正規雇用は一種の生活保護なのだ。
さて、「解決」。解決にもいろいろある。僕の考えのようにテロリズムで社会を変えるのが最も良いだろう。実際、10人程度の命を以て派遣業法は変わろうとしている。交通事故で年に5000人死んでもそれで社会は変わらない。でも、やり方次第では変わる。これ以上に効率的な手段を僕は知らない。逸失利益は1人あたり3億円としても35億円程度。しかし、元手はほとんど要らない。金で注目を浴びようと思ったら才能はいるし、35億では足りないだろう。
もっとも、これは皮肉だ。テロなんてないならないに越したことはない。
話を元に戻す。
福祉や思いやりは「幻想」と断言した。弱者は助けてもらえない。年金や保険の類は、強者が弱者に転落したときのための「保険」だ。純粋に弱者のためのものではない。強者の自己救済である。
さて、では、好況下では生きる糧を与えられた弱者は、仮想飢饉下ではどうしたらよいか。助けは何もない。答えは既に出ている。群れを作るのが最適だ。自然界では弱い生き物は皆群れる。ならば、弱い人間は群れるべきだ。強い連中が群れているのだから、尚更弱者は群れねばならない。
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